自分ブランドの磨き方ブログ

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コロナ危機、日本人、未だ指示待ち

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政府や自治体の長が連日テレビのニュースに登場し、互いに意思決定を擦りつけあっている。国会は、後出しの批判と大衆迎合政策とで、自分たちの支持基盤拡大のために未曾有の危機すら利用しようとする野党。こんな事が無駄に繰り返されている間に、日本は、感染者のオーバーシュートが目前に迫り、ロックアウトはいつかと連日報道されるようになってしまった。

 

2月末からヨーロッパ諸国で、3月の中頃にはニューヨークを始め米国でも感染者爆発、医療崩壊が起こった。それでも強制力を伴う命令を政府が発しないため、専門家は指数関数的に感染者が増える危険性と不要不急の外出を控えるよう要請を繰り返すしかなかった。

 

1月中旬に感染者が現れてから今日に至るまでの3ヶ月間、毎日要請を聴き続けた結果、一般市民の危機意識は遠のき、海外で起こる光景を対岸の火事と考え、呑気に花見やK-1の試合に出かけていた。そしてようやく事の重大さに気づくと、マスクを買い求め、デマに騙されトイレットペーパーの買い占めに走る始末だった。

 

これらは目に見える日本人の行動の一例に過ぎない。しかし、リアルやネットでのコミュニケーションを通じて感じるのは、もっと根本的な日本人の問題はこれではないかと思われる言動がある。

 

それは、この未曾有の危機においても、

 

“日本人は指導者からの指示を待つだけ”

 

だということだ。政府や指導者の発表を待っているだけで、あれこれと心配をし、お得意の批評や批判をするものの、決して自ら考え、自分でできるアクションを起こさないのだ。

 

4月に入り新学期が目前に控え、

 

「自分が住んでいる自治体の教育委員会は、4月X日から予定通り学校を開始すると言っている。子供に感染しないか心配だ。国や教育委員会に考えを改めて欲しい」

 

という声を聞く。それほど、心配ならば親である自身の判断で、学校を休ませる判断しても良いではないだろうか。万一、事態が長期化するような場合には、休学も選択肢の一つとして実行すればよいではないだろうか。

 

確かに、長期間休むと授業から大幅に遅れる可能性があるし、卒業が遅れるかもしれない。皆が一斉に大学卒業し、社会人になる今の日本の社会システムから外れる心配があるかもしれない。でも、今最優先する事は、家族の安全と健康、何より命を守ることではないだろうか?

 

米国では、教育=学校に”行く”事にこだわらない。家族の考え方によっては、学校に通い教育を受ける事を選択せず、ホームスクールとして親が子供に勉強を教える選択肢を取る家族もある。そして立派に社会に子供を送り出している家族も多い(エジソンもホームスクールで教育を受けた)。

 

実際、今回のコロナ騒動で、米国の友人達は、いち早く親である自身の判断でしばらく学校に行かせないという判断をとっている。それくらい家族の安全は自分達で守るという考えが一般的だし、常に色々なリスク回避オプションを用意している。

 

子供の教育だけではなく、親である我々大人自身も通勤問題に直面している。此の期に及んで未だ毎朝通勤列車に揺られ、都心のオフィスに出勤しなければならないことを、ネットでは、時差出勤やテレワークを導入しない所属企業を恨む声、さらには、安倍首相や政府、社会を批判する人々も多い。

 

外資系企業においては、自分の身を守る為のアクションとして、組織と交渉をする事は一般的だ。たとえば、テレワークの例であれば、自分だけではなく皆の為という名目で、所属企業が時差出勤やテレワーク導入を認めさせる事は普通である。

 

外資は特別だ、日本企業ではそんな事は許されない」という反論もあると思う。しかし、最悪の場合、自分が感染し、数週間後にはこの世にいないかもしれないのだ。その時、所属企業は貴方の為に何をしてくれるのだろうか?自分を守るのは、自分自身でしかない。

 

ここまで書いてきたが、皆誰もが自分で考え行動する事ができる。子供に学校をしばらく休ませる、テレワークの導入を企業に働きかける、自分でアクションを取る事ができる。そして、交渉がうまくいき自分の希望通りになる事もあるだろう。

 

ただ、その行動と結果も、全て自身の責任だと言う事を忘れてはならない。求めていたものを得た後、自分の思っていた事と違ったからと言って、再び他人のせいにして、批評や批判をするのではなく、再び自分で考え、行動するようにしたい。